中村茂隆 ホームへ
プロフィール 仕事 エッセイ リンク お問合せ サイトマップ
エッセイ



中村茂隆による エッセイBLOG
エッセイを中心にBLOGを更新しております。最新のトピックスもこちらでご確認ください。



「中村茂隆による エッセイBLOG」にて
折々に心に浮かんだ思い出や思いを綴ったエッセイを掲載させていただきます。
このページでは、代表して一つのエッセイをご紹介いたします。

「お問合せフォーム」より、感想などお寄せいただければ嬉しいです。


   弾丸列車

小学校時代の中村茂隆

私が小学校低学年だった1940年(昭和15年)頃、校内の友達同士で熱っぽく語られたのは、「弾丸列車」すなわち、大砲の彈のようなスピードで走る列車の噂であった。
それは、昭和12年の南京陥落で終わるはずだった日中戦争が、ズルズルと泥沼にはまりこみ、アメリカとの開戦も間近という緊迫した時期だった。
武器・弾薬を迅速に運ぶために研究・開発されつつある「弾丸列車」は極秘の存在であり、地下深く掘られたトンネルの中を走るというのである。
あの頃の小学生は近所付き合いが親密で、夏休みになると、誰からともなく誘い合わせて、昆虫採集のため、よく摩耶山へ登ったものである。
木立にこんもりと覆われた摩耶ケーブル西側の登山道をしばらくゆくと、草の生い茂った、小高い丘があった。そこからは神戸市が一望できた。
上級生の誰かが言った。「『弾丸列車』のことやけどなあ。スパイに知られたらアカンから、秘密になっとうけど、ほんまは、もう走っとうかもしれへんで。ちょうど、この下あたりかもしれん」
そうして彼はしゃがみこみ、地面に耳をくっつけて、「弾丸列車」の走る音を聴こうと真剣な表情になった。私達下級生も彼にならって真剣な顔で、地面に耳をあてた。
当然なにも聴くことはできなかった。そこは尾根づたいの道で、谷底にはケーブル・カーが通っており、少し山寄りには、ケーブル・カーのトンネルがある。
万が一その時「弾丸列車」が走っていたとしても、それは谷底を通るケーブル・カーの、さらに下を走っていることになるから、こんな小高い丘の地面に耳をあててみても、なにも聞こえるはずはなかった。
こんなことを微笑ましく懐かしく思い出しながら、私はふと気になって、神戸市灘区の地図を出して来た。山陽新幹線は摩耶山の地下のどの辺を走っているのだろう。
地図によれば、新幹線がケーブル・カーのトンネルの下あたりを走っていた。
少しずれてはいるが、私達が「弾丸列車」の走る音を聴き取ろうと、地面に耳をあてた場所は、そこからさほど遠くない位置なのであった。
東海道新幹線の開通は1964年、山陽新幹線の新大阪一岡山間開通が1972年、それは「あの頃」から30年ほど後のことである。
「弾丸列車」の開発・研究は幻ではなく、「あの頃」実際に進められていたのだと思う。
それは新幹線の誕生に大きく貢献したと思いたい。


内容は「中村茂隆による エッセイBLOG」にて随時追加・入れ替えをいたします。
   中村茂隆による エッセイBLOG 
▲BLOGはコチラからご覧になることが出来ます。


ページTOPへ

プロフィール仕事エッセイリンクお問合せサイトマップ

Copyright (C) 2005 Shigetaka Nakamura, All Rights Reserved.